フリーアナウンサーとして活躍する生島ヒロシさん。
生島ヒロシさんは、実家や、ご両親の経歴がすごいことで有名ですよね。
今回は生島ヒロシさんのご実家、ご両親についてまとめました!
生島ヒロシさんのご実家は?
生島ヒロシさんのご実家は、宮城県気仙沼市港町で「伊勢浜食堂」という大衆食堂を経営されていました。
当初は、生島ヒロシさんの祖母、生島はつゑさんが女ひとりで切り盛りされていたそうです!
伊勢浜食堂という名前は、三重県出身のはつゑさんが、
伊勢の人が船で気仙沼に入港したら、うちに寄ってもらいたい
ということでつけた名前だそうです。
生島ヒロシさんは高校生まで、伊勢浜食堂を営んでいた実家で暮らしていたそうです。
生島ヒロシさんはインタビューで、こう語られています。
いつも夜中まで漁師のお客さんでいっぱいでした。365日、正月も休まなかったですね。ラーメンは麺がやや硬め、かつおぶしと煮干しのだしが絶品でした。
https://mainichi.jp/articles/20201210/k00/00m/040/003000c
実家の食堂が大好きだったのが伝わりますね!
生島ヒロシさんはTBSのアナウンサーになってからも、夏休みに帰省すると、出前を手伝いをされていたそうです。
大繁盛の食堂だったのですね!
生島ヒロシさんのご実家である伊勢浜食堂は、2011年3月11日の東日本大震災の津波によって、
飲み込まれてしまったそうです。
生島ヒロシさんの父親は?
生島ヒロシさんのお父様、駿さんの生い立ちをまとめました。
- 幼少時を宮城県気仙沼で過ごす
- 家族で神奈川県横浜市に引っ越し
- 横浜寿商業高校卒業
- その後戦争に出る
- モートロック諸島から復員
- 気仙沼に戻り、父の教え子だった方の会社でサラリーマンとして働く
生島ヒロシさんのお父様は明るい性格で、お酒が好きだったそうです。
生島ヒロシさんがアメリカの大学に在学中、大腸がんを患い、53歳の若さで他界されたそうで。
父親とのエピソード
生島ヒロシさんが、お父様に背中を押されたというエピソードが見つかりました。
夢を追って自分の可能性を追求しろ。日本はこれから、どんどん国際化していく。自由に生きろ。長男だからと跡を継ぐ必要はない。海外で暮らしてもいいんだと。
https://www.jprime.jp/articles/-/20518?page=6
経済的に大学進学をあきらめていた生島ヒロシさんは、
このお父様の言葉がきっかけで、アメリカの大学に進学することを決めたそうです!
とても寛容なお父様ですね!
生島ヒロシさんの母親は?
生島ヒロシさんのお母様の美知子さんは、
生島ヒロシさんの祖母のはつゑさんと一緒に、伊勢浜食堂を切り盛りされていたそうです!
その後、気仙沼に戻られた駿さんと出会い、生島ヒロシさんが誕生されたのですね!
ご主人の駿さんを亡くされてから、女手一つで4人のお子さんを育て、85歳で他界されたそうです。
東日本大震災の1が月前に亡くなられたそうで、お母様のお骨も津波で行方不明になっているままだそうです。
生島ヒロシさんの祖父は?
生島ヒロシさんの祖父、佐藤忠左右さんの生い立ちをまとめました!
- 島根県隠岐に生まれる
- 養子に出されて、熊本五高(高等中学校)へ
- 京都大学法学部を卒業
- 逓信省で官僚に
- その後、宮城県で英語の先生に
官僚も経験されていて、すごい経歴ですよね!
生島ヒロシさんのおじいさまはとてもエリートだったのですね!
まとめ
今回は生島ヒロシさんの実家、ご両親について調べました。
- 実家は「伊勢浜食堂」を営んでいた
- 父親は戦争から復員後、サラリーマンに
- 祖母と母親は年中無休の食堂を切り盛り
- 祖父は京大法学部卒の元官僚
生島ヒロシさんの祖父母、ご両親はとても働き者のご家族だったのですね!
コメント